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環境放置論(概論)
こんなニュース(→ニュース記事へ あと →こちらのブログが詳しくて分かりやすいです)の後では出遅れ感がありますが、前々から準備していた記事だったので、ボツにするのは悔しくて、最初に書いた草稿みたいなものだけアップします。 この概論を書いているうちに、もっと色々書きたくなって、章を分けて、もう少し掘り下げた記事を書こうと思って、チマチマと書いていたのですが、前述のニュースを見て、書く気が失せてしまいました。 以下が概論の本文です。 ◆
環境放置論(概論) 私は環境保護活動には消極的な人間です。 ただし、誤解を避けたいので最初に書いておくと環境破壊の道を驀進しようということではありません。 極論かもしれませんが《省エネ》と《遺伝子工学》の推進こそが人間にできる環境保護への最上のアプローチであって、それ以外のことは地球環境にとっては余計なことではないかと思っています。 《環境放置論》は、私の環境保護問題に対するスタンスの根幹を成す、主義というか思想というか、漠然とした考えです。 (実際は主義というほど偉そうなものではありません) 大げさな環境保護活動なんてやめましょう。 放置でいいじゃないですか。 そんな、読んで字のごとくな主張です。 なお、本当に漠然と考えていただけのものだったので、文章化するのは今回が初めてです。 ◆ 私が思うに、人類が地球の環境保護を考えるなんて、不遜というか無礼というか、何か間違えている気がして仕方ありません。 どう間違えているかというと、私なりの三つの視点、考え方があって、一つは、そんなに環境保護がしたいなら、まずは戦争行為などの環境破壊行為をやめるべきだという考えです。 つまり、保護する前に破壊するのを止めよう、ということです。 地球の環境を人間の健康状態に置き換えて考えてみてください。 刃物や鈍器等で肉体を痛めつけているのに、そうした行為を中止せずに治療行為をしても肉体が健康状態に向かうわけがありません。 あるいは、より環境問題に近い例を考えるなら、ヘビースモーカーがタバコを止めていない状態の中で、肺の中をキレイにしようとしているような感じでしょうか。 現状では、そんなことは絶対に不可能だと思います。 まずは暴力行為、破壊行為、タバコをやめるべきでしょう。当たり前すぎる話です。 戦争ほど非生産的な行為はありません。 大量に消費されるミサイルによって大気は汚染され、熱せられ、酸素が消費されるわけで、しかも戦場が山間部や海や海岸沿いの場合、自然環境は著しく破壊されます。 それに資源もすごい勢いで消費します。 人類に戦争をやめることが出来るわけがないのは百も承知ですが、環境保護について人間が考え行動することは、それと同じくらい無理というか無意味じゃないかと私には思えるのです。 ◆ 二つ目は、人間が環境を復活させたいと思うなら、何もしないことが一番だと思うからです。 保護したい場所から人間を立ち退かせて放置することこそが環境に一番だと思います。 ちなみに、このことが私の環境放置論の最大の拠り所と言えます。 地球の自然治癒力は、人間が環境保護と称して行っている活動など及びも付かないほど強力なものだと思います。 要するに私が言いたいのは、環境保護と称した活動によって、地球の自然治癒を阻害しているのではないかということです。 《人間の環境保護活動=地球の邪魔》 じゃないかな、と。 どこかの日本の島の話なのですが、火山の噴火で、数年間、島民全員が避難し、無人島状態になっていた島がありました。 噴火直後の島周辺の海の状態は火山灰や溶岩流によってボロボロです。 噴火から数年、ようやく火山活動も沈静化し安定期に入ったということで島民が戻る前に環境調査と称して、島の周辺の海を調査してみたところ、ズタズタにされていた海は見事なまでに回復していたそうです。 それどころか、島民が生活していた時とは比べ物にならないほど海の生物が豊富に繁殖していたそうで、水質も以前よりもキレイになっていました。 自然の浄化作用はやはりすごいです。 環境回復には無人状態、つまり人間が手を加えないことが何よりもいいわけです。 (なお、私が見た番組では、海洋学者が調査していたのをテレビ局が取材していたものだったので、島の上、陸上の環境については語られていませんでした) このことに関して、もう一つ、私の基本的な考え方を示すと、クジラやマグロだけを保護するような偏った漁をすれば、それは環境保護ではなく、環境バランスの破壊に繋がります。 それはつまり環境破壊ではないでしょうか。 そうした環境バランスの破壊行為を環境保護だと思っているのが今の環境保護活動の現状です。 環境保護活動なんてものは、本当は無くて《環境保護のための無活動》《放置》こそが環境保護活動の精神を誠実に表す態度だと私は考えます。 ◆ 温室効果ガスの問題に限定した話になりますが、最大要因である《水蒸気》のことを蚊帳の外に追い出して論議しているようでは無意味ではないかと思います。 水蒸気が地球温暖化に及ぼす効果は計算が複雑すぎて、今の我々には未知数だそうですが、水蒸気は温室効果ガスとしての機能を持つと同時に、気化した際の冷却効果などから、冷却後の副産物とも考えられ、そのプラスマイナスした結果、総合的な効果が実際には温暖化に働いているのか、冷却化に働いているのかは不透明なのだそうです。 水蒸気は海面から絶えず常温気化して発生しているもので、その量は現在問題になっているそれ以外の温室効果ガスの総量よりも圧倒的に多いそうです。 水蒸気のことを無視して温室効果ガスの削減について考えても、実は何も分からないのです。 もし水蒸気が冷却効果ガスだということであれば、水蒸気をより効果的に利用することを考えることで今よりも効果的な温暖化対策を考えることが出来ます。 水蒸気が温室効果ガスであるなら、はっきり言って、今議論されているようなCO2削減とかは、焼け石に水に過ぎないとも考えられるわけです。 今現在、国際的に進められている自動車の排気ガスの規制などは、空気汚染という問題は別にして純粋に温暖化問題だけを考えれば、まったく無意味かも知れないのです。 それほど、水蒸気はそれ以外の温室効果ガスとは量が違うと言うことです。 まあ、排気ガス等の規制は、大気汚染、人体の影響などを考えても推進すべきだと思いますが、温暖化とは別の問題として考えるべきかもしれません。 また、水蒸気が仮に温暖化冷却化、プラスマイナスゼロであったとしても、それがはっきりと分かることで、ようやく温暖化問題の現実が見えてくるのではないかと思います。 メディアや声の大きな団体などの活動によって現状認識が曖昧なままに情報に踊らされているのが現実なのです。 環境問題、温暖化問題を本気でやるなら、今やるべきは、水蒸気が温暖化に及ぼす効果の分析だと私には思えるわけです。 ◆ 三つ目は、環境保護はすべきではないという否定的感情が私の中に確固として存在していることに起因します。 人類にとって、自然環境というのはかつては《餌場》《資材》であり《天敵》であったもので、今は餌場としての機能は失われ《天敵》としての姿がより鮮明化されているはずだと私は思っています。 これは私の環境放置論の第二の拠り所です。 一般常識とはたぶんズレています。 環境との共存を考えている人が多いようですが、私の考え方、感じ方は違います。 天敵に対する恐怖心が環境保護に否定的な感情となるわけです。 田畑や牧場という人間に都合の良い餌場、狩猟場ができた現代では、自然の役割は酸素の製造プラント、木材、紙の資源などとしての役割くらいしかないような気がするわけです。 自然環境を完全に破壊するのは論外ですが、できることなら自然環境を出来るだけ弱らせておきたい、必要最小限の自然さえ残っていればいいのではないかという、環境保護活動をしている人たちとは正反対な考えが私の中にはあります。 ちなみに、わざわざ自然破壊活動をする必要は多分なくて、普通に人類が繁栄していけば、自然環境は適度に弱まってくれて、人類にはちょうどいい状態を維持してくれるのでは無いかと思います。 私は沖縄の西表島のジャングルの中を何時間も歩いた経験がありますが、自然は本当に恐ろしいです。 ただそこにあるだけで恐いです。 私は冗談ではなく本気でジャングルの中で《死の恐怖》を味わいました。 本当の意味での《自然》の中で長時間滞在した経験のある人なら、私が感じているような自然に対する恐怖心は理解してもらえると思います。 現在の日本には、本当の意味での《大自然》と呼べるものは、海は別として、北海道の釧路湿原と西表島のジャングルくらいしかなく、他の場所は一見自然の状態に見えても人間の手が入った造林などだそうです。 (富士の樹海もそうだったかもしれませんが、ちょっと分かりません) ともかく、そうした経験から、私には自然が保護すべき対象とは到底思えません。 これは、完全な感情論であって、論理とかではないので、他者に理解してもらうのは難しいのかもしれませんが、感情論だけに私にとってはものすごく根源的な価値観になっています。 ◆ 最後に、 蛇足になりますが、せっかくの機会なので西表島のジャングルについてもう少し書こうと思います。 西表島のジャングル縦走コースは、体力の無い私でも何とかなるレベルの難易度でした。 高齢者は避けたほうがよいかもしれませんが、普通に働くことができる年齢であれば問題はないと思います。 ルートですが、基本的には獣道のようなものがあります。 うっすらと一筋、地面に草などが少なく、地肌が少しだけ見えている状態の、本当に《獣道》としか表現しようのない道筋があって、そこを辿っていきます。 ところどころの木にリボンのような目印が打ち付けてあるので、迷うことはほとんどないのではないかと思います。 私は1回だけ道を踏み外してしまって、数十分ほど迷いましたが・・・ 素人考えですが、登山よりはおそらく安全です。 ただし、一人で行くと、何かあった時に困るので、複数人で挑戦したほうがいいです。 それから、必ず下調べをし、それなりの準備をする必要はあると思います。 私は万が一のことを考えて数日分の食料とテントを背負ってジャングルに入りました。 そういう装備があれば、ジャングルの中で泊まることも可能です。 水は、水筒やペットボトルを一つ持参しておけば、ジャングルの中で川を見つけたときに補充することができます。 それから、テントを設置できそうなスペースは獣道から外れなくても、いくつかあります。 事前にこうした情報を集めておかないと、荷物が増えて大変です。 なお、寝袋は必要ないと思います。重くなっても平気なら話は別ですが。 12月とかはちょっとわかりませんが、どの季節も野宿が可能なほど気温は高いと思います。 問題なのは《ハブ》です。 テントが無いと、ハブの存在が気になって、とてもじゃないけど眠れないと思います。 恐怖心で。 私は、旅の途中で仲良くなった友達と二人でチャレンジしました。 所要時間は私が足をひっぱったこともあって10時間くらいだったと思います。 当時聞いた話では、女の子でも体力がある人なら6時間〜8時間程度という話でした。 達成感は個人差があると思いますが、私はすごく感じました。 何にせよ、ほとんどの日本人は経験したことがない感覚だと思います。 言葉であの恐怖を説明するのは難しいです。 周囲を完全に取り囲まれた状態の恐怖心を是非とも一度は味わってもらいたいものです。 もちろん、恐怖だけでなく優しい一面も自然が持っていることは私にも分かっていますが、やっぱり自然は恐ろしいです。 現在は届出が必要になっているようなので、挑戦する人は、そのあたりのことも調べてから行きましょう。 (私のときは、口伝えでOKでした) ああいう経験は、日本国内ではあそこでしかできないと思います。(私が知らないだけかもしれませんが) 一度は経験しておくことをオススメしたいです。 自然の中にいると癒されるなんていうのがウソだってことが分かるはずです。 ほとんどの人が言っている自然というのが、人間に都合のよい擬似的な自然でしかないことを身をもって知ることが出来るでしょう。 Comment form トラックバックURL :
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